グレーな家族

グレーな家族の中で育った愛着障害の私の葛藤

グレーな家族~家族を諦められない私のお話~♯3

きっかけは私の採点済みのテストが床に落ちて後ろの席の子に拾ってもらってから。

その日のテストのデキも悪く、運悪く後ろの子に見られてしまったのだ。

そこからその子とその子の友達から毎日手紙が机に置かれるようになる。

 

「もっと勉強した方が良いんじゃないの?」

「今日はカンニングしたら?」

「塾来てる意味なくない?」

「毎日同じ服のブランドばっかり。ダサい。」

 

など、内容は今となってはどうでも良い事だが、当時の私にとってはつらかった。

何度か手紙を返したことがあったが、倍返しをくらいやり返すのをやめた。

塾をやめたいと母にお願いしたこともあったが、

「自分が始めたんだろ。最後までやり続けろ根性なし」

自分から通いたいと言ったつもりは微塵もないが、母の言うことは絶対なので、仕方がなしに毎日塾に通った。逃げ方を知らなかった。だから行くしかなかった。

 

程なくして受験が終わり、私は受けた中で1番ランクの低い学校に合格した。

その際にも母の暴言は止まらず、親戚の前でも私を罵倒した。

「こんな学校にしか受からないのなら、受験させなければよかった」

「こんな学校じゃ恥ずかしい」

「塾にかかった費用を返せ」

などと言われ、自分なりの努力が全否定され悲しい気持ちになったのを今でも覚えている。頑張っても報われない。報われても母にも誰にも褒めてもらえない。一言だけで良いんだよ。いじめられながらも毎日塾に通った。お勉強は全然向いていなかったけど、最後まで頑張った。一言「おめでとう」と言ってほしかった。

 

そうして私は今まで仲が良かった地元の友達とも離れ、受かった中学に進級することとなった。私立だったため、通っているほとんどの子がいわゆるお金持ちばかりでなかなか馴染むことができなかった。そんな中仲良くしてくれたのが千晴だった。千晴の地元は治安があまりよくないらしく、親から無理やり受験をさせられたようだった。親から無理やり受験をさせられた経緯が一緒だったため、仲良くなるのに時間はかからなかった。お互い家が逆方向のため、放課後は毎日のように教室で語り合った。