グレーな家族

グレーな家族の中で育った愛着障害の私の葛藤

グレーな家族~家族を諦められない私のお話~♯4

千晴には地元の友達がたくさんおり、私は同世代の子から20歳ぐらいの大人な友達までたくさん紹介してもらった。大体集まるのは優紀くんという友達の家で、いつも10人ぐらいの人が集まっていて、タバコやお酒を飲んでいる人もいた。

優紀くんの親は、騒いでいても、お酒・タバコについても何も言ってこなかった。家はぐちゃぐちゃだったが、しっかりとした芯のあるお母さんで、家に来るたくさんの子供たちと親しくし、相談などにも乗っていて、友達のような存在で子供たちにも人気があった。

 

私はカルチャーショックを受け、親に縛られない生活に憧れを抱くようになった。

 

中学生になると母は家に帰ってくるなり、私のかばんや財布の中を漁るようになった。最初は何をしているのかわからくて、ガサガサかばんや財布を漁る母をボーっと見つめていたが、かばんの中からプリクラや手紙が出てくると、目の色を変えて私を罵った。

 

「友達と遊ぶ暇があるのであれば勉強しろ」

「こんなにスカートの短いことは遊ぶな」

「高い金出して学校に行かせてやってるんだから勉強以外するな」

 

そのようなことが何度か繰り返され、私はプリクラや手紙などを隠すようになった。それでも母は躍起になって毎日カバンの中を探していた。隠したといっても制服でプリクラなど校則違反なので、学校に置いておくわけにもいかない。家に隠すところなどすぐに見当が付き、案の定すぐに見つかった。そうして私の門限は下校から一時間に設定された。母は働いていたため私の帰宅時間は家にはいなかったが、家の電話を鳴らし私が家に帰っているかどうかの確認をした。

 

なかなか遊べない私でも千晴は仲良くしてくれて、家が反対方向なのに一緒にいたいからとほとんど毎日私の家の方まで来てくれた。家の近くの公園で門限ぎりぎりまで過ごす時間はとても楽しく、充実していた。休みの日は両親揃ってパチンコに朝から晩まで入り浸るので、少しだけ自由。だが頻繁に家に電話がかかってくるため、外出は許されない。そんな私に千晴は頻繁に携帯電話に電話やメールなどをくれた。

 

そしてそんな生活を続けていると家での生活がどんどん苦しくなっていき、私は母に嘘をつくようになり、いかに母に反発するかを考えるようになった。